仕事とは付加価値の創造である

社会に出て仕事をしていると、なんとなく仕事自体が形式化してきて、いったい何が仕事なのだろうと思うときがくると思います。

例えばいわゆるブルーカラーと呼ばれる工場のラインの作業員。彼らは工場で部品を作ったり組み立てたり製品を作ることが仕事になっています。また一方ホワイトカラーと呼ばれる人々、営業職であったり経理、研究開発など様々な職種がありますが、その方達の仕事については会議をしたり、資料を作ったりなんかが多いことだと思います。

ここで仕事自体の意味について考えてみると、いったいなんなんでしょうか?人によっては資料作りや顧客訪問、製品の組み立てなど全く違うことをしているのにもかかわらず、全て仕事と呼ばれています。

ちなみに、物理の分野でも「仕事」という観念がありますが、高校時代に物理を習った人には仕事=力×距離と定義されていたかと思いますが、ものを動かすことと考えることができます。ものを動かす、これはどういう意味でしょう。ものを動かすということは、ある人が意志を持ってそのものを別の場所に動かすということで、その人にとっては、動かすことによりその付加価値を得るということになります。

水をコップ一杯づつ川から汲んでくるより、大量の水を桶に入れて近くまで運んでくる。これはその人にとって近くに水の塊があることが付加価値となります。水を近くまで大量に動かすということはすなわち力×距離という仕事をしたということですから。

話を戻すと、会社などで行われている、会議や資料作り、顧客訪問、ライ製造などは全て付加価値を生み出すための行為ということになるはずです。逆に考えると付加価値を生まない行為はそれは仕事ではありません。
例えば、結論の出ない会議や、特に誰も読まないような不要な資料作りは時間がかかるかもしれませんが実は仕事ではないということ。

特に会議などは複数人の時間を拘束することになりますから、その会議自体が結論の出ないどうでもいい時間だとすると、人数×会議時間分が全くの無駄になるということです。

世の中には、会議をしていれば仕事をした気分になるという人は多いと思いますが、その会議自体が本当に付加価値を生んでいるかどうかをきちんと見極めて、その会議を主催、出席しないと意味がありません。

また、資料に関しても誰も読まない、形式だけのために作成する資料はその作成時間自体も無駄ですし、仕事をしていないこととイコールです。特に、システム開発とかですと、そのシステムを使う実際のユーザと開発者の間が離れれば離れるほと無駄な資料がたくさん作成されてしまうという傾向にあります。
その反省を込めて、アジャイル開発という手法も生まれたりしているのですが、まだまだ、日本はITゼネコンの力が強く、日々無駄な資料、無駄な会議が続々と生み出されてきています。

そろそろ、こういうやり方をやめて、付加価値を生むような行動に注力することが大事だと思うのは自分だけでしょうか?